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昭和三十年頃の結婚準備
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費用と形式から見た披露宴の実例(続き)
森田さん夫妻の全部自分で準備した披露宴
森田さん夫妻の考え方は、失礼のない程度に単価を下げて、なるべく大ぜいの出席者を迎える披露宴にしたい、ということでした。会費制、立食式を希望しましたが、両親が「会費制にだけはしないでくれ。やり方は、あなたたちの思いどおりでよいから」と言われ、費用六万円を出してくださいました。そこで、費用の点は両親の希望を入れ、その代り、招待者の範囲は友人と恩師、先輩を中心にし、両親の関係はいっさい呼ばず、二人の希望を実現させることにしました。
立食式だとお客はもっと入りましたが、これも両親の希望でいすを入れることにし、けっきょく招待者は一〇〇人ほどにしぼることになりました。
二人の場合、準備委員は、二人の友人三人ずつ、おねえさん、妹さんで構成。新郎のへやに集まって、あれでもない、これでもないと計画をねったのです。
しかし、当月のごちそうについては、明子夫人が一人で奔走しました。
まず会場出入りのレストランには、一人二九〇円でお茶の会(オードーブル、サンドイッチなど)を請け負ってもらいました。つまり、三〇〇円から飲食税がつくのです。税のつく手前までと考えたわけです。
あとは、彼女が安いくだもの屋を見つけて自分で買いに行き、花も、式をあげる教会出入りの花屋に頼んで、安く豊富に整えることに成功しました。くだものは、会場のテーブルの飾りにもなるように、りんご、ぶどう、なしなどを三〇〇〇円。花は、花束も入れて五〇〇〇円かかりました。
このほか、友人のお菓子屋さんに頼んで、ほとんど実費でウェディングケーキ(五〇〇〇円)を作りました。すべて自分で出向いて、あれこれさしずして注文しましたから、「お嬢さんにはかなわない」などと言われながらも、思いどおりにいったようです。
森田夫妻の場合、挙式日が仏滅の日であることも幸いしました。会場も、写真屋も花屋も暇があるので、つききりで世話してくれ、それがとても助かったからです。
小林さん夫妻の農村の新しい披露宴
最近各地の農村には、披露宴の簡素化を図る声がしきりに起こっています。公民館結婚式のような形で、この問題の解決を図ろうとしているところもかなり多いようです。今年三月二十五日に結婚した、小林幸雄、詩子さんの住んでいる山形県余目町は、米どころ庄内平野の中央部にあります。ほとんど米の収穫だけにたよってきた農家の経済を近代化するために、この町では、一年半ほど前から、農協の指導で、月給制を行なってきました。家計の合理化と平行して、結婚の経費節約の問題が、公民館運動の一つとしてとり上げられました。
今では公民館で、時間も経費も昔とはくらべものにならないほどの、合理的な披露宴を。する人たちが次第にふえてきています。この地方では、昔は、
挙式当日 昼 本番(親戚一向で三々九度の杯事) 夜 寝酒(父の友人)
翌日 昼お茶(母の友人) 夜 寝酒(新郎の友人)
と、四度も披露宴をしたものです。
公民館では、男三〇〇円、女二〇〇円の会費制とし、折詰め(一五〇円)、科理(八○潤)、酒(一〇〇円)の披露宴を準備しています。披露宴だけでなく、挙式も、みんなが公民館でするとよいのですが、今でも三々九度は新郎の家で親戚を招いてするのが普通です。これが終わってから公民館へ来て、披露宴をするわけ。
小林さんの家は、三反の兼業農家で、詩子さんは、結婚してからも小学校の事務員をつづけている、いわば共かせぎ夫妻です。もちろん小林さん夫妻も、公民館で披露宴をしました。詩子さんの場合、おとうさんも新しい披露宴の提唱者です。幸雄氏はむご入りをしたのですが、詩子さん一家の積極的な方針で、支度はごく簡単でした。道具として用意したのは、双方が共同購入したたんすと洋服だんす各一つずつ。
当日の花嫁の衣装は洋装。小林さんの部落でははじめてのウェディングドレスでした。詩子さんは、式服を考えたとき、お金をかけたくないと思い、鶴岡市の美容院を一軒ずつ聞いて歩きました。どこでも貸衣装は四〇〇〇~五〇〇〇円くらいでした。そのうち、おりよく、テレビ局の開局記念行事に出品したウェディングドレスを貸してくれる人が現われ、それを借りることにしたのです。借り代は一五〇〇円。新郎は結納で作った背広を着ました。
披露宴の経費は、次のようでした。本番はやめて披露宴一本としたので、その
代り、来会者へは引出物を出したそうです。
農村の貸衣装
静岡県磐田市の長野地区、向笠地区では、婦人会が花嫁衣装の貸出七をして成功しています。
農村でも、娘さんたちは、一生に一度は振袖が着たいという、強い希望をもっています。、一方「振袖は地主さまの娘のもの」といら、昔の卑下した気持もありました。「結婚改善は《経費節約を呼びかけるだけでは成功しない」と考えたこの地区では、ぜいたくであって、ぜいたくでない花嫁衣装みんなが振袖を着て、夢をかなえるまず、ここから改善を始めました。昭和二十八年、市合併前の長野村では、村費一一万円で、二着の衣装を作りました。三十年、衣装の管理は、役場から婦人会へ。一年間の使用回数は、地区内(五六〇戸)で、二〇~三〇回、他地区へも貸し出すので七〇回ほどですコ使用料の積立てで、次々と衣装を新調し、現在、婦人会の所有花嫁衣装は五着。料金は二三〇〇~四三〇〇円、新調費用の残りは、婦人会の豊富な運動資金となっています。
花むこのためには、地区内のモーニング所持者を役場へ登録しています。
貸衣装から発展し、今では、公民館結婚式が地区内の常識。三十二年から、長野地区にならって、向笠地区でも始められたのです。
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